読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

経営科学専攻博士課程社会人院生の研究(と徒然の)日誌

京都大学経営管理大学院博士後期課程に在学中の社会人院生のマーケティングetcと二足のわらじの院生生活日誌

「社会」や「世界」を対象にしたマーケティング研究へ〜ベッカーの『芸術世界』における集合的行為。

この土日はサービスデザイン特論という授業の中で、サービスデザインやデザインシンキングを考えていたんですが、その先に「文化のデザイン」というフレーズがあって、「文化」というものを経営戦略やマーケティングにどう活かすことができるか?というところまで議論が及びましたと。

「文化」というのはある種の社会的相互作用によって生み出されており、「市場」「自社」「購買者・消費者」の外側を構成してる、ないしはそれらがリファレンスするようなものになっていると考えられます。そうなってきたときに、社会的相互作用や集合的行為というものは重要になってくると。

そう考えていたら、修士課程当時90年代に使った本が日本語訳になっていることを発見。すごい偶然かあるいは、このテーマが今「キテる」ということからの必然なのか・・・

なぜなら2016年の今年日本語訳が出ているものの、最初の版が出たのが1984年ですから。 それだけの月日のギャップのある本が、なぜ今?と。

Art Worlds

Art Worlds

 
アート・ワールド

アート・ワールド

 

ベッカーは、”ラベリング理論”によって日本でも知られたシカゴ学派社会学者であり、都市社会学・職業社会学のフィールドにおいて超一級の研究者であることは異論の余地がないと思う。

 

日本においても早くに翻訳された『アウトサイダーズ』で彼は、例えば「不良」というものはその本人が内的な属性として「不良」であるのではなく、ある種の規則を設定しそれを逸脱する行為=「不良」というラベリング(=レッテルが貼られる)によって生み出され、逸脱という行為を生み出すとした。 

完訳 アウトサイダーズ

完訳 アウトサイダーズ

  • 作者: ハワード S.ベッカー,村上直之
  • 出版社/メーカー: 現代人文社
  • 発売日: 2011/10/31
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回
  • この商品を含むブログを見る
 

 

例えば『アウトサイダーズ』の中では、

社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。

と説明している。一般的にこうだと思われていることに対して別の見方を与えるという、その昔別冊宝島の『社会学入門』について付けられた、社会学というディシプリンに与えられたサブタイトル=”常識破壊ゲーム”の典型的な例が、ベッカーの『アウトサイダーズ』である。その『アウトサイダーズ』に匹敵する”常識破壊”を行っているのがこの"Art Worlds"なのだ。

社会学入門 (別冊宝島 176)

社会学入門 (別冊宝島 176)

 

 

”Art Worlds"には日本語訳は存在しなかったものの、実は長きに渡って芸術や文化の社会学的な考察や集合的行為を研究する研究者に読まれ続けている。25周年版が出ているということからしても、この本がいかに素晴らしい研究成果として扱われているか理解できるだろう。私自身はこの本に出会ったのは社会学の修士課程における研究中であり、1994年〜1996年ごろである。20年前。そこからまさか2016年になって、この本が日本語に翻訳されるとは全くもって思っていなかった。

しかし遡れば、ベッカーの"Art Worlds"は1984年に一冊の本としてまとめられたが(25周年記念版は2008年)、その根幹となる「集合的行為としての芸術」というコンセプトは、1974年に"Art as Collective Action"としてAmerican Sociological Reviewに掲載された論文ですでに出来上がっている。つまりベッカーの”Art Worlds"が日本語で読むことが可能になった今年とそのコンセプトの初出との間には、なんと40年以上の月日が経っている。しかもベッカーの”Art Worlds"の源流となる研究は哲学領域においてなされており、 Arthur Danto が1964年に Journal of Philosophy に寄せた "The Artworlds"がそれにあたる。つまり50年前。

Dantoやベッカーによってまとめられた研究の成果が40年/50年経って日本語で読まれるようになったというのは、いわばタイムカプセルを開けるような感じがする。

さて、この"Art Worlds"が非常に面白い視点を与えてくれるのは、日本語版に帯にもあるように「アートはいつ、どのように、誰によって”アート”になるのか?」という部分にある。

一般的にアート作品というのは一人の芸術家の天賦の才能の結果、その手によって生みだされるものだと考えられている。しかしながらベッカーが"Art Worlds”で提示したのは、作品が「アート(芸術作品)」だとして生み出され、認められるには、その作品の制作過程に関わる人々(support personnel)やその展示に関わる人々の存在があるし、またそもそもその作品が芸術作品だと認められる「世界」がなければ、それは「芸術作品」として存在し得ないという、それまで美学・芸術学領域では持っていなかったと思われる社会学的な視座からの芸術世界の存在である。

例えば、マルセル・デュシャンの有名な作品『泉』は男性便器を横倒しにし署名を入れただけのものである。

 


Marcel Duchamp, Fountain, 1917

 

この”作品”は、芸術家として認められた人しか出品できないような展覧会ではなく、誰であっても出品可能なアンデパンダン展への出品が目論まれた。この、アンデパンダン展への出品という行為自体がデュシャンの遊び/企てであったことは間違いないだろうが、実際には主催側からこうした出来合いの、しかも作家の手が加わってないもの(=便器は便器のままで何ら作家にとって加工されてなく単に横倒しにして署名されただけのもの)は「芸術作品」として認められないとして、出品を拒否されるという”事件”になった。

このことの経緯と顛末については、上記の動画を見てもらえばわかると思う。しかしベッカーの"Art Worlds"の文脈においてこの”事件”が重要なのは、それまで「芸術作品」として認められなかったものが、その後「レディメイド」というコンセプトともに「芸術作品」として認められているということにある。つまり、この「便器」は「芸術作品」として認められていない段階においても、それが「芸術作品」として展示・礼拝される価値を持つようになっても、その「便器」は「便器」のままであって、それ自体は何も変化をしていない。では変わったのはなんなのか? その「便器」を「芸術作品である」と認める「世界」のほうなのだ。つまり、意味を与える「世界」の変化が、作品を「芸術作品」として認めるようになった、ということである。

こうした「世界」はたった一人だけで構築されているものではなく、それに関わる人々の相互作用によって構築されているのであり、作家の天賦の才能によって生み出されていると思われている「芸術作品」についても、それは実際に作品が生み出されプレゼンテーションされる過程やそれが芸術作品として語られるようになるディスコースの構築にいたるまで、構成している人々による”集合的な行為”の産物なのだ、というところがこの"Art Worlds"の提示している非常に重要な視座なのである。

この本が2016年の今年になって翻訳本として出てくるのは非常に興味深い。

実はサービスデザインやマーケティングの先端研究において、”集合的な行為”や ディスコース空間といったものは非常に注目されつつある概念であり、従来的なブランド論や経営戦略を変える可能性も持っている。

例えば、ダグラス・ホルツの「文化戦略 Cultural Strategy」などは、従来のブランド論へのブレークスルーになりそうなものとして注目されている。 

Cultural Strategy: Using Innovative Ideologies to Build Breakthrough Brands

Cultural Strategy: Using Innovative Ideologies to Build Breakthrough Brands

 

 

マーケティングや経営戦略の向かう一つの方向として、「文化」という戦略があるのであれば、その「文化」というものは構成員の相互作用によって生み出され、維持されることが想定され、それは集合的な行為だと考えることができる。マーケティング戦略や経営戦略の新しいアプローチにおいて、ベッカーの"Art Worlds"の議論が有効だと思われるのは、この点にある。

サービス・ドミナント・ロジックや共創という考え方のもとでは、主客のない相互作用がその視座の中にあるが、一方でそれは提供者とその享受者のように2つの存在を想定しているが、ベッカーの"Art Worlds"やホルツの"Cultural Strategy"においては、より世界や社会といったような単位での理論を展開しているのが特徴である。単なる生産者と消費者・生活者、製造者と購買者のような二項のプレイヤー間の緊張関係だけでなく、より社会的な相互作用としてとらえている。この点は至極重要だと考えたほうがいい。

なぜなら、例えばプロダクトアウトやマーケットインという言葉でもそうだが、従来のマーケティングや経営戦略が対象としてきたのは、「市場」や「技術」や「購買者・消費者」なのだが、その外側にある、それらに”意味”を与えていたり、それらをサポートしているような「社会/世界」のアセットやディスコースについてはスコープが向けられていなかった。しかし今はその視野まで広げた戦略が生まれつつあるある最中で、社会学的な分野の先行研究がマーケティング/経営戦略領域ではあるのであり、その最も重要な一冊が”Art Worlds"なのだと考える。

そしてそれが今日本語で読めることになったことから、上記に書いたような領域について興味を持つ多くの人に薦めることができるようになることは非常に喜ばしい。もちろん、70/80年代に書かれた”社会学の”研究所であることから、それなりの難解さはあるが。

 

アート・ワールド

アート・ワールド

 

 

しかしこの日本語訳がこのタイミングで出たことは、自分にとっては単なる偶然とは思えず、自身の研究の方向性も含めて、大いに精神的なサポートになっている。